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八剣神社

式内の八剣(やつるぎ)神社は、熱田神宮境内の別宮「八剣宮(はっけんぐう)」が遺存の社とされている。

「やつるぎ」の「や」は、元来多数の意だが、これに派生して物を褒める美称としても用いられている。

【由緒】

社伝によれば、元明天皇の和銅元年(708)9月に朝廷より熱田神宮に勅使が使わされ、西夷降伏の祈願がなされ、その際、新造の宝剣が奉納され、この時に八剣宮が奉斎されたと伝えられている。

尾張国と美濃国を中心に当宮の分霊を祀った八剣社が数多く鎮座しているが、これらの多くは中世に勧請されたものと推定され、当宮の御神威が高かったことが知られる。

天正3年(1575)5月13日、織田信長が長篠に出陣の時に熱田に参詣し、その際、八剣宮社殿の破損した様子を見て、修造を命じ、熱田の宮大工頭岡部又右衛門(映画「火天の城」で西田敏行が演じている)に工事を監督させている。

慶長4年(1599)八月に徳川家康が浅野長政に本殿を造営させている。

従来、摂社の筆頭として祀られてきたが、明治13年1月、「別宮」の待遇を与えられ、社名を「八剣宮」に改められた。

【所在】

熱田神宮の境内にあり、正面参道を入り、左に入った上知我麻神社の前庭のすぐ北側に南面して鎮座する。

もとは、現在地よりもやや東方にあったが、明治26年の改造の際、現在地に移された。

この場所は、熱田台地の先端部にあたり、すぐ南は傾斜して低くなっていて、古代においては、海に近い場所であったと推定される。

【祭神】

現在、当宮の祭神は、本宮と同神とされている。

ただ、古来から、草薙剣と七剣霊の八剣という説、日本武尊とする説など異説も多くあった。

当宮の末社は、以前は七社あったが、現在では、移転されて、徹社(楠御前社の北)、八子社(南新宮の北)の二社だけが祀られている。

【祭祀】

当宮は、現在、熱田神宮の唯一の別宮として重い処遇を受けているが、古来、本宮と並び称せられるほど密接な関係を保持していた。

その祭神も本宮と同一の神を祀るとされていて、その年中祭祀みついても本宮と同様に執行されている。

【社殿】

現在の社殿は、明治26年の造営の時、神明造りに改造された建物で、その規模は本宮より小さいが、ほぼ同形式である。



もとは尾張造りの形式で、その配置は、中央の正殿、その前に渡殿・釣殿、それに廻廊を両側に付けた祭文殿があり、さらに拝殿・楽所・御饌殿などの建物があった。また、本殿の東に、俗に不開門(あかずのもん)といわれる清雪門があったが、現在は移転して残されている。


【参拝記】
初詣のたびに、本宮に参った後、上知我麻神社にも参拝するので、その前庭のすぐ北にある八剣宮にも参拝している。

2012年1月11日には、「踏歌神事」が本宮の他、八剣宮、大幸田神社でも行われたので、八剣宮前の神事も見物した。